はあとふる対談:歌で元気を届けたい ゲスト:岩崎宏美(歌手) / 聞き手:堀正典 救心製薬株式会社 代表取締役社長 慶応義塾大学卒 趣味は謡曲、書道、墨絵、車、ゴルフ、ネイチャーフォトなど

岩崎宏美(いわさきひろみ)さん
岩崎宏美(いわさき・ひろみ)さん
歌手

1958年生まれ。’75年「天まで響け!!岩崎宏美」のキャッチフレーズと共に「二重唱(デュエット)」でデビュー。2枚目の「ロマンス」が90万枚近い大ヒットとなり、この年の新人賞を多数受賞。’82年、「聖母たちのララバイ」は発売後2週目でオリコンチャート週間売上1位を獲得し130万枚の大ヒットとなり、同年11月、日本歌謡大賞を受賞。’86年、ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』に次女・ホーデル役で出演。’15年デビュー40周年を迎え、記念シングル「光の軌跡」、セルフカバーベストアルバム「MY SONGS」をリリース。

きっかけはオーディション番組
今日は今年でデビュー40周年を迎えられた歌手の岩崎宏美さんにお話を伺います。まず歌手になられたきっかけを教えてください。
岩崎
きっかけは「スター誕生」という番組で、中学3年生の時に小坂明子さんの「あなた」という歌をオーディションで歌って、高校1年生の時の決戦大会でレコード会社にプラカードを挙げてもらえて昭和50年(’75年)にデビューしました。歌は小学校2年生の頃から習っていましたが、職業としての選択肢に"歌手"というのはなかったですね。でも中学2年の時、後に高校の同級生になる森昌子さんが「先生」という歌でデビューされているのを見て、「歌手って中学生でもなれるんだ」と思って私も志しました。
実は「スター誕生」は、番組スタートから終了時まで提供企業としておつき合いさせて頂いていたんです。そして「二重唱(デュエット)」という曲でデビューされ、2曲目の「ロマンス」が大ヒットでしたね。
岩崎
その当時は3か月に1枚ずつ新曲を出していました。今思うとよくそんなに続けて覚えられたなと思いますが、当時はそれが主流でした。
作る方も大変だったでしょうね。
岩崎
森昌子さん、桜田淳子さん、ピンクレディーたちにも楽曲を提供されていたので、作詞作曲の先生方は大変だったと思います。
 
若者たちの応援歌に
3枚目のシングル「センチメンタル」は春の選抜高校野球の入場行進曲に採用されていましたね。
岩崎
私も当時高校生だったので、同年代の男の子達が自分の曲に乗って行進しているのを見て、とても嬉しかったです。その後、23歳の時に歌った「聖母(マドンナ)たちのララバイ」も入場行進曲に採用され再び甲子園を訪れましたが、生徒が若く見えちゃって(笑)。
「聖母たちのララバイ」は初め1番しか作られていなかったとお聞きしましたが?
岩崎
「火曜サスペンス劇場」のテーマ曲用にワンコーラスだけ作られてオンエアーされていましたが、テレビ局が「テーマ曲のカセットプレゼント」を募集したら信じられない数の応募が来て、これはレコードを出したら売れるんじゃないかと急遽フルコーラスでレコーディングしました。当時、毎週火曜日の深夜、大阪でラジオの生放送の仕事があったため、このドラマは観たことがなかったのですが、普段それ程声を掛けられない私が、自分より年上の人達に「今歌っている歌、好きです」とよく飛行機内で声を掛けられるようになり、歌が売れるってこうやって目に見える反響があるものなのだなと思いました。
歌好きだけでなく、ドラマ好きの方もファンになった訳ですね。
岩崎
そうですね、一日の中で一番安堵した時に流れる曲だったのもヒットの理由だったのではと思います。
この歌に込められたメッセージとはなんだったのですか?
岩崎
日本が元気のない時にもこの歌で日本を支えなきゃぐらいのイメージで歌ってきました。ですから元気のない人達にこういうことではいけないというような思いを奮い立たせてくれる、力のある歌だと思っています。最近は泣ける歌がいい歌と持てはやされていますが、それはちょっと悔しいです。確かに悲しい時に思いきり泣きたい歌も大事だけれど、歌を聴くと自分の中で忘れていたこととか、その当時お世話になっていた人とかがその歌と共に蘇ってくる、そういう温かい気持ちになれたり元気になれたりする歌や音楽も大切なのではないかと思います。
 
活躍の場を舞台にも
その後、ミュージカルにも多数ご出演されましたね。
岩崎
初めてのミュージカル出演はロックミュージカル「ハムレット」でしたが、昭和61年(’86年)に森繁久弥さんが主演された「屋根の上のヴァイオリン弾き」の最後の年に3か月間ご一緒させていただき、その後「レ・ミゼラブル」に出演させていただきました。
歌手と歌いながら演技するミュージカルとの違いや難しさはありましたか?
岩崎
「屋根の上のヴァイオリン弾き」はセリフもあって大変でした。芝居の"間"みたいなものがよく解っていなかった当時の私にとってはハードルの高い役でした。いざ歌の場面で頑張って歌ったら、演出家に「君のリサイタルじゃないんだから」と言われたのはとてもショックで、恥ずかしいというか頭の中が真っ白になりました。でも経験を積んだ今では、その一言は自分にとって大切な一言と思えるようになりました。その後に出演した「レ・ミゼラブル」は台詞がなく、歌が中心だったので助かりましたね。
 
声は健康のバロメーター
岩崎さんの歌声には本当に癒されます。最近のCDを聴いても昔と変わらないと感じますが、今なお変わらぬ歌声を保っていられる秘訣は?
岩崎
声の調子の良い時は、自分自身の声を聴くことで体のメンテナンスをしているみたいなところがあります。逆に自分の声が調子悪いと波長がズレるというか調子が悪くなります。
自分の声に癒されるなんて最高ですね。お仕事の合間の健康管理は?
岩崎
舞台をやっているときはみんなと一緒にストレッチもしますし、1時間前に発声などを行いますから、なんとなくローテーションで体も慣れてくるのですが、コンサートの場合は、ステージの間が空くと振り出しに戻った感じがして調整が難しいです。かといって週に2、3回コンサートがあると体がもちませんし、大変ですね。
食べ物や運動で気を使っていることは?
岩崎
一番気を付けていることは中性脂肪と太り過ぎくらいです(笑)。 最近はテニスを始めまして、仕事が終わった後に仲間と楽しんだりしています。この年ではあまり物欲はないのですが、今欲しいものといえば柔らかい良い筋肉です(笑)。
何かご趣味や特技はございますか?
岩崎
小学生の時から父の影響で、乗馬や剣道を習っていました。中学生になるとバスケットもやりました。現在はやっていませんが、そのせいか腕の力は強くなりました(笑)。今の趣味といえば車の運転ですかね。歌は耳で覚えることが多いので、車の中で繰り返し聴いたりしています。運転して周りに注意しながら聴くことがかえって集中力を高めているみたいで、より頭に入ります。
"まごころ"を大切に
座右の銘とかお好きな言葉はございますか?
岩崎
"まごころ"という言葉が好きですね。この言葉は16歳からずっと大事にし続けてきました。歌もそうですが、何事にも正面から真摯に向き合うことを大切にしています。
救心も"心(こころ)"を”救う”と書きます。いつの世も大切なのはこころということでしょうか。最後にこれからの抱負をお聞かせください。
岩崎
元気な限りは歌い続けていきたいと思います。ちゃんと舞台のセンターまで歩けて、お客様に心配をかけず、「この人、結構歳いっているはずなのに、あんなに元気なんだ」と思わせる、自分自身が健康で、観てくれる人に常に元気を与えられる存在でいたいと思います。
これからも素敵な歌で私達に元気を与えてください。本日はありがとうございました。
 
 
2016 vol.28