
陶芸家の岩渕高義は、焼き物に使うための土を採取していた山中で、瀕死の少年を見つける。救急車で病院に搬送された少年が目を覚ましたのは五日後。高義は医者から、少年が「腕や足にいくつもの打撲や骨折、アザ、更には火傷まで負って」おり、加えて「昨日、今日つけられたのではない古傷もある」ことを知らされる。
退院後、無戸籍だった少年は、戸籍を作り、「長月駆」という新しい名前を持つことに。一旦は児童養護施設に入所した駆だったが、紆余曲折を経て、高義の家に引き取られる。高義の焼き物の手伝いをしたい。それが駆の望んだことだったからだ。おそらく、生まれて初めて自分の願いを口にした駆を、高義は受け止める。山中で駆を見つけて、四ヶ月後のことだった。
以来、三年。長年にわたる虐待で、他人のことが信じられずに心を閉ざしていた駆が、ようやく自分の居場所を見つけたのが高義の家だった。そんなある日、駆の前にあらわれたのは、七年前、高義とぶつかって家を出たきり、音信不通となっていた高義の息子・充だった。充の出現で、自分の居場所がまたなくなってしまうと怯えた駆は……。
高義と充。二人ともいい人すぎるほどいい人なのに、実の親子だからこそ、また充自身も陶芸家であるからこそ、素直になれず、気持がすれ違ってしまう。駆のことなら思いやれるのに、お互いがどうしても意固地になってしまうのだ。似た者どうしの親子の、一度掛け違えてしまったボタンは、なかなか元にはならない。この辺り、親の立場で読むと身に沁みます!
タイトルの「カッコウ」とは、カッコウの托卵行動に由来する。大切なのは血のつながり「だけ」ではない。たとえ血がつながらなくても「家族」になることはできるのだ。物語のラスト、駆の言葉と、それを受けた高義の言葉に、思わず涙が溢れてくる。胸に残る家族小説だ。