
垣谷美雨『もう別れてもいいですか』(中央公論新社)を複雑な気持ちで読む。これは五十八歳の主婦原田澄子が離婚するまでの日々を描いた長編だが、その冒頭に、高校時代の同級生から喪中ハガキが届く場面が出てくる。年賀状のやりとりだけになってもう何十年も経つので、その同級生の両親と舅姑の計四人のうち誰が存命だったのか、すぐにはわからない。で、ハガキを見ると、−本年九月に夫、山内慎一が五十八歳にて永眠いたしました。
と書いてあり、それを読んだ瞬間、こう思うのである。
「羨ましい」
おいおい、と思わず言いたくなる場面だが、しかしそれは私が男性だからそう思うのであり、女性なら誰もが納得、そして共感するようだ。たとえば、原田澄子の実家の母は、数年前に夫(つまり澄子の父)が死んでから若返った。この世の春を謳歌するように生き生きとしている。それまでは暗い性格の人だと思っていたのに、いまでもつまらない冗談にも声に出してころころと笑うから澄子は驚いている。悪口もいっさい言わなくなり、八十歳を過ぎているのに毎朝きちんと薄化粧し、最近ではスカーフにまで凝りだした。
そしてこう述懐するのである。
「夫が死ぬということは、妻にとっては長年にわたって上から押さえつけられてきた重しが外れたということだ」
しかし夫が死ぬのを待っていても、いつ死んでくれるのかわからない。となると、離婚しかない。なぜ離婚をためらうのかといえば、仕事もなく貯金もない澄子が一人で生きていくことが出来るのか。その不安があるからで、その心配さえなければ明日にでも離婚したいのである。
というわけで、離婚に向かって具体的に、リアルに、幾つもの問題を克服していく話が始まっていく。いやあ、すごい話だなあ。