自分探しが探検家の原点
- 堀
- 今回は探検家の関野吉晴さんにお話を伺います。なぜ探検家になろうと思ったのですか?
- 関野
- 高校時代、将来にわたりやりたいことが決まっている友達がいる中、自分には何も見つかりませんでした。悩んだ末、全く異なる自然や文化の中に自分を放り込めば何か変わるかもしれない、違う自分を発見できるのでは、と考え探検に興味を持ちました。自分探しと言えるかもしれません。1960年代前半は海外渡航が自由化されたばかりで誰もが外国へ行ける時代ではありませんでしたが、大学に入ったら親に勘当されてでも好きなことをやるぞと思い、入学した一橋大学で自ら探検部を創設しました。先輩がいないため、知識や技術を得るのに一番活動が盛んだった早稲田大学の探検部に参加しました。
- 堀
- 探検と冒険は似て非なるものですか?
- 関野
- 冒険とは誰もやらない危険なことをして達成感を得ることで、探検とは達成感の先に社会的意義や還元できる成果があることです。更に探検は主体性を持ち未知な場所へ行くこと、システム(常識)から外れ、外側からシステム内の人に影響を与えることが重要視されます。探検部の人はOBも含め冒険家と呼ばれると「俺は冒険家じゃない」と探検にこだわりがありますが、私は最近、冒険の方がいいのではと思うようになってきました。冒険ってピュアなんですよ。人や社会のためにと考えず自分のためだけにやる方が気持ちいいのではと思うし、私自身基本は面白いからやるのであってその結果が社会の役に立てばいいという考えです。
- 堀
- 最初の探検をアマゾンにした理由は?
- 関野
- 当時早稲田探検部は世界最長のナイル川源流を探検していて、ならば自分は世界一でかいアマゾン川にしようと最初の海外をアマゾンに決めました。そこで1年を過ごしすっかり虜になり、その後の20年間を南米だけに費やしました。
- 堀
- 探検の資金はどう工面したのですか?
- 関野
- 学園紛争の時代で授業はほとんど出ず、年間120日は登山や川下り、120日はアルバイト生活で資金を貯めるのに2年かかりました。格安チケットのない時代、直接航空会社で南米までの高額航空券を購入すると資金の半分はなくなりました(笑)。まずはアマゾン全体を見たかったのでペルーの水源から始めて河口まで全域を下りました。その後未知の人たちが住む地図の空白地帯はペルーだったのでペルーアマゾンを探検しました。アマゾン奥地の村へ行き最初に接触した先住民のマチゲンガ族は、よそ者を知らず裸同然で暮らしていました。
- 堀
- 突然現れた未知の訪問者を受け入れてくれるものですか? 先住民との異文化交流で気をつけていることは?
- 関野
- 最初は向こうも警戒し怖いわけですから、必ず片言でも彼らと通訳できる案内人を同行します。その人間を通じ徐々にコミュニケーションが取れるようになります。居候させてもらうのですが、皆やさしくほとんど断られたことはありません。彼らはまだ青いバナナをイモに近い感覚で焼いたり蒸したりして食べます。熟すと逆に甘すぎて主食には向かないからですが、私が完熟を好きなのを知ると私のために持ってきてくれるやさしい人たちなんです。そんな彼らのために何かしたいと思って狩りに同行しても足手まといにしかなりません。自分が何も出来ないことへの後ろめたさと、彼らを調査や取材の対象ではなく友達になりたい気持ちから、医者になれば彼らの役に立てるだろうと考え、帰国後8年ぶりに受験勉強をして医学部に入り直しました。
- 堀
- 探検のために医師免許取得とはすごいですね。
- 関野
- 実はマチゲンガ族との交流は今も続きかれこれ50年になります。彼らは若くして親になるので関係は5世代にわたりますが、その間に村には学校ができ、4世代目からはスマホを持っていますので環境の変化は急激です。
- 堀
- 先住民の変化の過程を見続け感じたことは?
- 関野
- 自然の循環の中で生きる彼らを尊敬しています。文化人類学者は文化に高等下等という優劣はなく、全ては必要だから生まれたという考えで民族相対主義に共通します。だから〇〇人ファーストなんて考え方は生まれないんです。他の民族、文化に触れることで、自分が当たり前と思っていたことが当たり前じゃないことに気づく、これこそが探検の醍醐味なのです。
- 堀
- 1993年から約10年をかけ壮大な旅「グレートジャーニー」に挑まれましたね。
- 関野
- 20年つき合ってきた南米の人がどこから来たのか考えると、人類の祖先は皆アフリカにたどり着きます。そこで人類の旅路を逆にたどるルートを旅しようと南米を出発しアラスカ、シベリア経由でアフリカをゴールに設定しました。2万年前の旧石器時代の人たちに思いを馳せたかったのでルールとして近代的動力は使わず人力を基本とし、自転車、カヤックやカヌー、スキーと太古の人も使ったであろうラクダやトナカイ等の家畜はOKとしました。
- 堀
- 旅ではどの程度の危険性までを想定しているのですか?
- 関野
- 命は大切なので死の確率が5割以上なことはしません。パタゴニアやベーリング海峡は水温が低く水中では身体がかじかんで泳げませんから転覆したら一巻の終わりなのでカヤックは一番危険を感じました。各行程に向け入念に準備しますが、最大限努力した上での失敗はいいと思っています。失敗は人を成長させるしそもそも失敗しない人間なんて魅力ないですから。
- 堀
- 危険な状況下で恐怖心をどう克服するのですか?
- 関野
- 転覆したり岩から滑落したりという恐怖は、私の場合睡眠中などその場にいない時に想像して感じるもので、実際の現場では生きることに必死なので怖がってはいられないですよ。
- 堀
- 植村直己氏は「探検家に必要な資質は臆病者であること」と言葉を残していますが、関野さんの考える探検家に必要な資質とは?
- 関野
- 臆病ゆえに慎重になるわけで、そうでなければ自分もどこかで死んでいたと思います。基礎体力は登山で例えれば熟練者コース、初級の岩登りと雪山の経験は必要です。あとは何でも食べられどこでも寝られるのは探検家の資質と言えます。現地人は生水を飲みますが野生動物のように腐った肉を食べたりはしません。胃袋は人種間で大差ありませんから彼らが食するものを口にすれば基本的に大丈夫です。
先住民との出会い
人類の起源をたどる旅
変わりゆく世界
- 堀
- 先住民のコミュニティーに立ち入ることで生じる新たな変化についてどうお考えですか?
- 関野
- 医者の立場では現地の伝統医療よりも私の診療の方が効果があると思われた場合、元の文化を壊すことを危惧します。ブラジルとベネズエラの国境付近に住むヤノマミ族には伝統医のシャーマンがいますが、西洋医学の持ち込みは伝統医の権威を失墜させてしまう不安がありますし、彼らからライバル意識を持たれるのも本意ではありません。ただ真っ先に私のところへ頭痛の相談に来たのはシャーマンでしたけど(笑)。
- 堀
- 新型コロナウイルスはヤノマミ族にまで拡大した報道がありましたが、グローバル社会においてはこれもある意味必然でしょうか?
- 関野
- 2020年にコロナウイルスは金鉱労働者によってアマゾンの先住民に持ち込まれ拡大しました。世の中の変化を止めることなどできませんが、その速度は緩やかであるべきと思います。そして未開拓な地域への立ち入りには細心の注意が必要です。ハエが媒介となって赤痢や腸チフスを感染させる恐れがあるため、最初私は自分の排泄物さえ消毒していましたよ。
- 堀
- 世界各地の現地医療では生薬も使われていましたか?
- 関野
- ボリビアの標高2000m位の所にアマレテという村がありますが、そこは薬草が約400種類あり薬草の谷と呼ばれています。伝統医は薬草を中心に用い、患者はペルーからも来て往診していました。他にはチベットの伝統医療も薬草や鍼など日本の伝統医学と非常に似ています。唯一の違いはチベット医学では僧侶が医者なので、病気の原因に前世が関係してくることです。
体験し、気づく
- 堀
- グレートジャーニーをネット配信されていますね。
- 関野
- テレビシリーズは1995年から放送されましたが、映像全般の権利は私が所有していますので時を経て旅の様子を公開しています。
- 堀
- 時代も変化した現代に18歳だとしたら同じ探検の旅に出ますか?
- 関野
- 違う形では挑むと思います。私は父親が小学校の校長で大学まで進学させてくれて、学費を奨学金とバイトで賄いながらトータル14年間も大学生をやれたのも環境に恵まれ、時代的にも運が良かったからです。もしバングラデシュの貧しい家に生まれていたら生きるのに精一杯で探検どころではないでしょう。人間はどの時代に、どこで生まれたかでほとんど決まってしまうと思います。他人からはあなたみたいに贅沢な生き方の人はいないと言われます。私は探検家であったことを全然後悔していません。
- 堀
- ここだけは自分の目で見ておくべき場所は?
- 関野
- もはや地球上に秘境と呼べる所はほとんどなく、ギアナ高地の9割はヨチヨチ歩きの子供でも行けます。目から鱗が落ちる経験は滅多にないものですが、小さな気づきは私の年齢になってもまだあります。皆さんも世界的な大発見の旅なんて無理せず、自分にとっての気づきを大事にしたらいいと思います。ガイドブック通りに観光名所を巡る確認の旅ではなく、主体性を持って自分の旅をすることをお勧めします。
- 堀
- 大変興味深いお話、ありがとうございました。

